日本史


 先頃、栃木県足利市足利市民文化財団は、国の重要文化財にも指定されている刀剣「山姥切国広」を現在の所有者から購入予定であることを発表した。ただし、その高額な購入金額が果たして妥当なのかどうか。

 早川尚秀市長は購入に至った意義をこう話している。

「山姥切国広をしっかりと後世に引き継ぎ、この先も脈々と続いていく本市の歴史の新たな1ページとなるよう、みなさまの応援をよろしくお願いします」

 山姥切国広の魅力について、歴史と文化の研究所代表・渡邊大門氏が解説する。

安土桃山時代を代表する刀工・堀川国広の代表作とされる名刀です。人気オンラインゲーム刀剣乱舞』に登場したことで、近年は若年層にも広く認知。これまでに2度、足利市美術館において山姥切国広の展示会が開催されていますが、全国各地から約6万3000人もの来場者があったそうです。足利市からすると、観光の目玉になると考え、購入を検討するに至ったのでしょう」

 ところが、足利市が発表した刀剣の購入金額は、なんと“3億円”。あまりに法外な額にも思え、地元市民たちからは訝かる声が上が

っているという‥‥。

 足利市総合政策課の担当者はこう主張する。

「刀剣に関する有識者5名による評価委員会を設置し、山姥切国広を購入する意義や資産価値などについて、客観的・公平的な視点で意見、評価をいただきました。結果、山姥切国広は国広の作品の中でも最高傑作であり、足利市ゆかりの作品を足利の地で守っていくことに意義がある。この機会を逃さず、譲り受けるべきとの意見をいただきました。本品は国宝級といっても過言ではなく、市場でも認知度が高いことから、経済波及効果等も加味して、3億円が妥当であるとの評価をいただき、適正な購入額と判断しました」

 購入資金の内訳に関しては、足利市民文化財団の資産から2億円を捻出。残りの1億円は、足利市クラウドファンディングや寄付を活用して募るという。要は、市民の税金から負担することはないというわけだ。とはいえ、本当に3億円の値打ちがあるのだろうか。

「半世紀前のことになるので、単純に比較することは難しいですが、1967年に文部省(当時)が国宝にも指定される平安時代末期の日本刀『大包平』を6500万円で購入しています。例えば現代の中古車市場であれば、おおよその市場適正価格がありますが、今回の山姥切国広など、安土桃山時代の刀剣はそもそも現存する数が極めて少ないため、専門家でもその評価額は割れるはずです。それを踏まえてあくまで個人的な意見ですが、正直なところ3億円は高いという印象です。しかも、文科省のホームページなどの情報によると、関東在住の個人による所有物。足利市の交渉次第では、もう少し安く購入できる可能性もあったのではないでしょうか」(前出・渡邊氏)

 いわば「言い値」で買ってしまったのではないか。購入が実現した場合は、2025年1月から3月頃に、足利市美術館で「山姥切国広展」の開催を予定している。

「以前より、全国の地方自治体の中でも、足利市の財政難は深刻だという指摘があります。そうした中で早川市長に対し〈わざわざ購入するほどの価値があるのか?〉〈展示する時だけレンタルすればいいのでは?〉〈一般市民は、食費や光熱費の高騰で四苦八苦しているのに、庶民感覚からズレている〉という反発の声もあります」(地元紙記者)

 9月1日より足利市クラウドファンディングの募集を開始するというが‥‥。

アサ芸プラス


(出典 news.nicovideo.jp)

山姥切国広(やまんばぎりくにひろ)は、安土桃山時代に作られたとされる日本刀(打刀)であり、日本の重要文化財に指定されている。重要文化財指定名称は「刀 銘九州日向住国広作 天正十八年庚刁弐月吉日平顕長(山姥切)」。 安土桃山時代に活躍した刀工・堀川国広作の日本刀であり、南北朝時代の備前長船長義作の刀…
27キロバイト (4,390 語) - 2023年5月9日 (火) 12:03



(出典 ameblo.jp)


 購入には税金も使われますよね。はたして吉と出るのか?クラファンでたくさんお金が集まることにも期待です。
 足利市にある足利学校でこの刀がつくられたそうです。

<このニュースへのネットの反応>

【栃木県足利市、『刀剣乱舞』に出てくる刀剣「山姥切国広」を3億円で購入することを発表!】の続きを読む


昭和史から私たちは何を学ぶべきか。ノンフィクション作家の保阪正康さんは、「日本人はもともと実利主義者だったのに、太平洋戦争では『八紘一宇』『神の国』といった抽象的な概念で戦争を始めてしまった。今後も、国が抽象的な、神がかり的な方向に進まないように注意する必要がある」という――。

※本稿は、保阪正康『昭和史の核心』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

■なぜ日本は戦争をする決断をしてしまったのか

昭和史から学ぶべきことは何かとよく聞かれる。

軍官僚の空気で決まった日米開戦、翼賛体制に迎合したメディア、軍事主導体制に従った国民……など、顧みるべきことは数多くある。

読者の脳裏にもさまざまな事実が浮かぶと思うが、それらを大局的にまとめるとおそらく、「なぜあのとき、世界を相手に戦争をする決断をしたのか」という素朴な疑問に突き当たるように思う。

そのような愚を繰り返さないために知っておくべきことを知るというのが、これからの人が「昭和史に学ぶ」実利的な目的になるだろう。

令和の今、昭和史を学ぶということは、その教訓を生かすための知識を身につけ、未来に応用していくという意味になろう。

■鎖国が日本人を「世界の田舎者」にした

私は、日本人が鎖国によって、江戸時代に対外戦争をまったく経験しなかったことが、現代につながるアイデンティティーを形成したと考えている。

時の人々には「身分」の差があったが、その上から下まで全員が、自分たちの共同体の中だけで一生を終えていたのである。生まれ落ちた共同体は、生から死まで、その中で生きるようにできていた。

これは重要なことだと思う。生まれてから死ぬまで、その内部のルールを守っていれば、安泰に過ごせる。戦争に対する危機感がないことは、戦乱の世だった欧米社会とは大きな違いとなった。

そのような精神的状況下に長らく置かれていた人々は、どのような社会をつくったか、どのような文化を生み出したか、それが現代の我々に、どういう教訓を与えているか、改めて検討してみたらよいのではないか。

昭和史を研究してきた私が一つ理解できたのは、「日本人は世界の田舎者だ」ということである。

「田舎者」などというとネガティブな意味に捉えられがちだが、私はプラス面もマイナス面もあると思っている。愚弄(ぐろう)したり卑下したりという感情からいっているのではない。

つまり、農村共同体の中で、戦争を経験することなく、平穏に暮らしていた。その中で人生を終えた人々が七つか八つの世代にわたっていただろう。私はここに、それ以降の日本人の性格形成がなされたのだと考えている。

■日本が戦乱を経験しなかった215年間

江戸時代の中でも、鎖国政策で国を閉じていた期間は1639年から1854年までの215年間である。この間に欧米では、清教徒革命(1642年)、アメリカ独立戦争(1775年)、フランス革命1789年)、ナポレオン戦争(1803年)、クリミア戦争(1853年)など、世界史上の大事件とされる戦乱が広範囲でひっきりなしに起きている。日本人とは対照的に、欧米人は、いわば戦いが日常の世の中に生きていたのである。

昭和史には、このような欧米社会との違いがよく出ている気がする。市民社会も、革命も、対外戦争も経験しなかった歴史は、日本人に国際社会に生きていく外交や軍事の手練手管を教えなかった。

黒船来航以後、右も左もわからない状態で世界に出た日本は、見よう見まねで何とか格好がつくまでにはなったが、それ以上の知恵には、にわかには届かなかったということだ。

■「すぐ役立つ学問」が日本人の肌に合う

学問的な面からも、これから昭和史を学ぶ必要性を考えてみたい。

欧米の学問は、大きく二つに分けられる。一つは、「世界はなぜあるのか」「人間はなぜ存在するのか」など、哲学のように普遍的原理を突き詰めようとする形而上学。もう一つは、アメリカを中心に発展した、実学的、プラグマティックな学問である。

日本では、プラグマティックな学問が伝統的に優勢である。具体的説明が歓迎されると共に、即効性があるほど重視され、「現世ご利益」的というか、実際に早く役立つ学説ならば、流行現象になるほどもてはやされる。

こういう、プラグマティックな思考風土の中に、西欧的な思想として形而上的な学問を取り入れていったのが、近代日本の欧米化の過程だった。一部のインテリ層が、哲学のような学問の受容体となり、教師となって知的水準の向上に努めた。

だから現代の大学でも、形而上学的な学問のほうが上に見られる構造になっている。建前として大学とは、実学よりも概念を学ぶ場所であり、学問業績は論文の出来で測られる。形而上学的なことを理解する能力が、知識人の条件とされるのである。

最近は「新しい教育」などと銘打って、小学生に英語の日常会話を教えたり、中学校で株式投資の授業をやったりなどが歓迎される趣があるが、実は日本人としてはもともとそういうプラグマティックな学びのほうが、肌に合っているのである。

■共同体を壊さないための「損得勘定」

つまり日本の庶民的共同体の考え方は、かなり実利的なものだということだ。自民党も、最近はそういう風情はあまり表に出さないが、保守的な地元への利益誘導が、有権者の投票動機となっていることに変わりはない。実利主義が政治の主役なのである。

逆に言うと、日本人の実利主義はアメリカ人よりもずっと徹底している。それは、柳田國男や宮本常一の民俗学を読むとよくわかる。彼らが発掘した伝承話の数々には、そういう実利主義で生きてきた昔の人々の論理と情感が色濃くにじみ出ている。

実利主義というと、同意語として「損得勘定」という言葉が思い浮かぶ。実利主義を支えている日本人の損得勘定は、自分たちの生を保障している農村共同体を壊さないための知恵だ。それを判断基準にすることによって、自分たちの生から死までの時間を守り抜くのである。日本人の心情と生活の根底には、鎖国時代に培われた実利主義が延々と生きているのである。

■日清・日露戦争と太平洋戦争の決定的違い

こういう風に考えると、日本が太平洋戦争でうまくいかなかった理由もよくわかる。

太平洋戦争に当っては、満州事変や「シナ事変」を批判する世界に対して、「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」などの「正当な思想」を示すことが必要だった。一方、「臣民」に向けては、「神の国の正しさを世界に示す」という大義名分を掲げて、その実現のための「和」を求めた。つまり、実利主義ではなく形而上的な概念に従って戦争を選択する建前になってしまった。

それまでの日本近代史において、戦争は正しいものだった。

日清戦争日露戦争について、いろいろ意見があるとはいえ、私には実利主義そのものに見える。日清戦争に勝って、日本は清国から台湾などの領土と3.6億円の賠償金を得た。戦費は2.3億円ぐらいだからそれを全部カバーした上で、その後の軍備増強資金も得ることができたわけである。

■「日本が得をする戦争は正しい」はずが…

そうして強化した軍隊で、次の日露戦争を戦った。これもなんとか勝ちはしたけれども、不本意なことに賠償金は取れなかった。国民がそれを知って暴動を起こしている。三国干渉で受けた屈辱を晴らすとか、ロシア南下の恐怖を払拭するとか、いろいろなことが戦争の原因に挙げられているが、賠償金が取れなくて国民が暴動を起こすというところに、この戦争に対する真の期待が何にあったかが透けて見える。

第一次世界大戦も含めて、近代日本の10年おきの戦争ラッシュには、実利主義という背景がある。つまり戦争が、政治・外交の延長ではなく、国家の営業品目になっていったのだ。戦争とは軍国日本にとって、賠償金を取って大儲けするためのおいしいビジネスと化したのである。

あの時代の男子の多くが軍人を志した理由は、出自に関係なく立身出世ができ、時には爵位を得て華族になることも可能だったからだ。だが、その実態は戦地に赴任する営業マンのようなもので、出世を争って微差のために身を粉にする意識構造は、戦後のモーレツサラリーマンとほとんど同じようである。

このような背景で、戦争は正しいものだった。もちろんそれは勝利を前提にしてである。

■太平洋戦争では原価計算ができなかった

だとすれば、太平洋戦争については、実利主義できちんと計算して「今回はパスしておこう」となるのが自然だったはずなのだ。プラグマティズムで考えれば、後の研究で自明なように、まったく勝算は生まれてこないからである。

帝国主義国家は、他国との戦争をするというときには、厳密な原価計算を行っている。その結果、いくらの利益が得られるかを示さなければ、国家プロジェクトとして裁可されないからである。

太平洋戦争の場合、日本にはこの原価計算ができなかったのかもしれない。先に挙げた「八紘一宇」のようなスローガンはおおむね思想的なミッションを示しただけのものであり、実利主義的な説得力は持っていない。敵とする対象があまりにも大きすぎたので、「計算しなくても勝てば自ずと原価は合う」と思っていたのか。

そのような面からの太平洋戦争研究も、今後の論点だと思う。

■日本人は実利主義に徹したほうがうまくいく

ヒロイズムに溺れた昭和前期の失敗を教訓とするなら、今後の日本人もやはり実利主義に徹したほうが、うまくいくだろうと思う。

戦前と戦後というまったく異なる空間を受容し得た日本人の、生き方上手というか器用さというか、頭の良さ、ずる賢さ、さまざまな捉え方ができると思うが、このようなところをプラス評価する意識を持ちたいと思う。

アメリカのプラグマティズムとそっくりそのままではない、日本的な実利主義の精神で生きていけばいい。

形而上学など欧米の考え方の受け皿となった明治の思想家たちは、福沢諭吉をはじめとして皆、実利主義だと思う。彼らの思想が現代にも影響を遺しているのは、それだけの有効性を持ち続けているからである。

私は福沢の『帝室論』を読んだときに、まさに戦後の皇室にあてはまることを、実利的な視点から言っているのに驚かされた。慶應義塾の学長を務めた小泉信三に皇室が信を置いていた理由がわかった。

■「抽象的理想」が日本を崩壊させる

日本人は、おそらく政治的にも経済的にも抽象的な議論が苦手であり、従ってゴールのある目標を達成するのは得意だが、道なき道を先導するのは苦手なのである。それなのに、太平洋戦争においてはなぜか、概念の世界に入りこんでしまった。「天皇のために死ぬのは正しい」ということが示すように、具体的理由や主体的動機のない空間に入りこんでしまったのである。

そういう空間での立ち回り方が、形而上学的思考習慣を持たない日本人にはわからなかったのに違いない。それで昭和前期までの、近代史としての日本は崩壊した。

今後、我々が持つべき一つの判断基準は、国が抽象的な、神がかり的な方向に流れていないかであろう。その方向に政治も経済も文化も動き出したら、おそらくこの国の崩壊は近いのだ。リアリズムを強調し、実利的だと思える状況で動いているうちは安心である。そして、より良き実利主義を見出していくことが必要なのだ。

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保坂 正康(ほさか・まさやす)
ノンフィクション作家
1939年札幌市生まれ。同志社大学文学部卒業。作家、評論家2004年、一連の昭和史研究で菊池寛賞、他に『ナショナリズムの昭和』で和辻哲郎文化賞、『石橋湛山の65日』で第1回石橋湛山和平賞などを受賞。近現代史の実証主義的研究のために、これまで延べ4000人の人々に聞き書き取材を行なった。著書に『昭和陸軍の研究』『東條英機と天皇の時代』『吉田茂 戦後日本の設計者』『昭和史 七つの謎』『あの戦争は何だったのか』『近現代史からの警告』『世代の昭和史』など多数。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Terraxplorer


(出典 news.nicovideo.jp)

宣戦布告 (開戦からのリダイレクト)
を切ったナチス・ドイツはほとんどの戦線において正式な宣戦布告なしに開戦を行っている。また大日本帝国も対米英宣戦布告は真珠湾攻撃・マレー作戦という先制第一撃の後だった(ただし、日本と米国と英国は「開戦に関する条約」に加盟しており、日本は米国と英国に対して攻撃前に宣戦布告をする義務があった)。日中戦争(支那事変)は布告さえしていない。…
17キロバイト (1,874 語) - 2022年12月11日 (日) 04:37


 この記事合ってるのかな??「第2次世界大戦前に日本はABCD包囲網という経済制裁されて、インドネシアとかに石油取りに行っちゃった。だから経済は戦争の原因になる」ってひろゆきさんは言ってましたね。 記事に対するコメントまとめました。

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【日本が開戦に突き進んでしまった原因記事に対するコメントまとめ】の続きを読む

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